作・演出 三瓶竜太さん。
路上生活者を描いた作品。三瓶さんのツイートによると初日と二日目では演出を180度変えたそうで比較したかったと思う。作品名ですが、ボクは「まばたき」ではなく「またたき」と読んでいました。やはり岡田君と北川さんの『瞬 またたき』のイメージがあったからでしょう。
あらすじで「数年前まで札幌には“路上生活者”は一人もいないと信じられていた。」とあり、思わず「んなわけ無いじゃん」と普段はしない言葉使いで独り言ツッコミを入れてしまいました。ボクは小学校の頃からその存在を認識していたし、ニュース、ドキュメンタリーで路上生活者は度々取り上げられていた。このあらすじが単なる物語上の「設定」なのか「本気」で言っているのかを知りたくて劇場に向かいました。
答えは分かりませんでしたが、このあらすじは余計な誤解を招くものに思え、周りにアドバイスをしてくれる人はいなかったのか?と思います。それはさておき詩的なセリフで物語を進めていく三瓶さんの台本にはセンスを感じましが、作品全体としてみると役者さんや演出の力が大きいのかなと思いました。さとうともこさん演じる詩人が纏う空気に魅かれ、彼女にあたる照明がこれまた効果的で「これぞ演劇!」とテンションが上がりました。そして登場人物を舞台の後方から見つめる楽器屋の赤石真優奈さん。あのまなざしの優しさをどう表現したらいいのか。ある意味彼女が主役と言っても過言では無いような気がします。
村田らむ氏の『ホームレス消滅』を読んでいたボクは、物語が進行するにつれ「こんなに目立って一般人から襲撃されなかったら嘘じゃん!」っと心の中でツッコミをいれていましたが後半登場人物の一人が襲われ負傷します。「全員、集めて強制労働させるべきだよね。働けないならもう処分するべきだよね」なんて一般人の意見が『ホームレス消失』で紹介されていました。襲う側の論理はこんなところでしょうか?こんな考えが出てくる理由を考えてみましたが、「労働の義務」なんて学校で習ったからなのか?路上生活者も厳密にいえば少なくても収入があったりするのですが、今度は「納税の義務」なんて声が聞こえてきそうです。路上生活者になる自由がある社会の方が健全(哲学を持って望んでんなる人もいるし、全体主義では無理)だと思うのですが、調べてみると憲法に「労働の義務」と「納税の義務」がある国は少数派でしたので、この辺から憲法改正してはいかがとも思う。
物語に話を戻す。気が付くと路上生活者を支援するボランティアの大学生が泣いていた。おそらく(この作品、ボクの記憶にセリフは殆ど残っていない)ボランティアをする理由付けがうまくできないでいるよう。カトリックの哲学者、ヨゼフ・ピーパーは『余暇と祝祭』で「怠惰」とは人間が本来の自分自身と一体になれないこととします。仕事や勉強をさぼることではないのです。いくら仕事や勉強を頑張っても自分を見失えばそれは「怠惰」なのです。この作品では路上生活者も支援する側も、共に「怠惰」として描かれていると言えるかもしれません。
問題解決すべく議論をせず皆で音楽をやりだしたのには引っくり返る思いをしましたが、アリストテレスの『政治学』からみるとあながち間違いとは言えません。労働ではなく立派に閑暇を送ることが「凡ゆることの初め」として、そのための教育の一つに音楽をあげていますし、音楽は「憂いを鎮める」とエウリピデスの言葉を紹介しているのですから。そして閑暇の最高の形態はアリストテレス、キリスト教によるとコンテンプラチオ(観想)、愛に満ちたまなざしにあるようです。そういえば「爆弾」という単語を聞いたとき、ボクはユナボマーを連想しました。現代社会を批判し連続爆弾事件を起こした人です。楽器屋さんとユナボマーがボクの中で対比されました。
この世界を───そこに見いだされる数々の不条理や悲惨な現実にもかかわらず───根本的によいものとして肯定し、愛をもって見つめることができる。
『余暇と祝祭』解説
楽器屋の、あの優しいまなざしの先に、問題解決の糸口があるように思えてなりません。
2020年11月2日(月)20:00
演劇専用小劇場BLOCHにて観劇
text by S・T